集中研修を終えて

スタッフの感想

●今までの自分を反面教師に新しいスタートを切れた

救急2階病棟 M・I

5日間の集中研修を終えて、配属部署が決まる前に、社会人として再び働き始める自分がどうするべきなのかを学べた。
私は3年前、社会人から看護学生になった。最初のうちは「一度社会人を経験しているから自分は甘い考えをしないだろう」と考えていた。
しかし、段々とその初心を忘れてしまい、かなり自分を甘やかしてしまったと反省している。配属が決まる前にこの研修を受けられたことで、今までの自分がどれだけダラけていたか気づけた。今までの自分を反面教師として、新しいスタートを切れたと考えている。
これから私が秀峰会で学ばなければいけないことは沢山あるが、まずは目の前にある課題をコツコツとひとつずつクリアしていきたい。その積み重ねが自分の成長に繋がり、成長することで他のスタッフや患者さんのために役立つことができるのだと考えている。

生き物には個性があり、人間には多くの感情があり、良心もある
良心から生まれる「思いやり」を意識し、学び、人として成長する

楽山3階 Y・T

集中研修を終えて、最も印象に残っているのが「思いやり」についてである。講義や体験を通して、思いやりについて考える機会が最も多かった。
秀峰会について学んでいく上で、地域の方々からの反対運動の話があり、秀峰会全体で地域の方々へ思いやりをもった姿勢で接してきたことで、今現在の地域の方々との共存が成り立っていることを学んだ。
集中研修の中で、思いやりというものが理念や地域清掃などの研修に反映されているのだなという感想も持った。しかし、集中研修を終えた今、思いやりを実践していくことについては不安が残っている。「思いやりのプロフェッショナルになるために」の講義で読んだエピソードは、励ましが負担になってしまうこともある、という内容だった。確かに、前向きな発言が時に負担になってしまうこともある。
このことから、その人の置かれた状況に心を配り、どうしたらその人に喜びや安心などを与えられるのかを考えることが思いやりの面で重要であると学んだ。しかし、病棟に配属となり、私がこれから接していく療養をされている方々は人それぞれ違う生い立ちや経験をされてきている。その経験の内容によって、置かれている現状は一緒でも、ひとつひとつの言葉の感じ方や捉え方は違う。私が経験したことのないような経験をされている方もたくさんいるだろう。そのような方々に、思いやりを持って接しても結局は自分なりの思いやりでしかないのではないか、傷つけてしまうのではないかという不安が大きい。
だからといって、不安に思って怖がってばかりでは何もできない。実際に行動に移さないと、私の考える思いやりが正しいのか、間違っているのかさえも分からないままになってしまう。

集中研修中に 「失敗を恐れずに」 という言葉が何度かあったが、自分自身の人間としての成長のために、失敗を恐れずに挑戦することが必要なのではないかと感じた。特に、私が不安に感じている思いやりをもった言動については、挑戦し学びを得ることで、人間としての成長に大きく繋がるものであると考えている。患者様の気持ちを察しながら、心を通わせることができるような高い人間性を持った看護師を目指したいと、集中研修を終えてよりいっそう強く思う。

人間性に繋がる内容として、東日本大震災の復興支援についても印象深く記憶に残っている。被災地に復興支援に出向くことは、自分たちの行動で相手が救われる、良いことをしているのだという自己愛があったが実際は違った、という冒頭の説明に衝撃を受けた。私も、被災者の方の励み、力になるために被災地支援に行きたいという考えを持っていた。
しかし、実際の被災者の方々は自責の念にもかられ、拒絶感さえもあるという。自分の考えの甘さを恥ずかしく思うとともに、被災経験をされた方々に思いやりを持って接するとはどういうことだろうと考えた。地域の人々のために働く保健師や医師の方にも 「これ以上患者を増やさないで」などと言わせてしまう経験がどんなに苦しいことか、想像はできても自分の経験にすることはできない。
支援と言ってもエゴになってしまうのではないか、何が正しいのか、助けたいという思いが相手を苦しめてしまうのか、 色々な考えが頭の中をぐるぐると巡っていた。しかし、秀峰会の方々はこのような思いの中で行動した。
一緒に悩みながら、人間として職種など関係なく心で接していったという話を聞いて、これが秀峰会の思いやりなのだと学んだ。自らが悩み苦しみながらも行動し、何が正解なのか分からなくとも 「被災者の方なのために」という一貫した思いを持つことこそ思いやりなのだと私は感じた。
そして、この行動によって、個人としての成長や秀峰会の成長ができたという話を聞いて、やはり失敗を恐れずに行動することは意味があり、重要なのだと学んだ。

最終日に行った『恍惚の人』の感想文や、さまざまな体験発表では、感じ方も人それぞれ違い、ネガティブに捉える人もいれば、ポジティブに捉える人もいた。また、その場面で思い浮かぶ情景も、人の経験によって様々で、自分が持った感想や意見とは違った内容もあった。正反対の意見を持つ人もいたが 、そういう考えを持つ人もいるのだなと感じる場合もあれば、私も確かにそんな考えも浮かんできたなと共感できる場合もあった。
考え方は人それぞれということを理解することは人と接する職務にも必要なことだが、人としても重要なことである。理解しているようで、その考え方に至る思いや経験まで考えられず、時に争いになり、人を傷つけてしまうことがある。集中研修で感じた思いやりの大切さと関連していることでもあるので、今後も振リ返りをして忘れずにしていきたい。

集中研修では、社会人としてのマナーや思いやりなどを考える人としての在り方から、秀峰会について、現在の日本の医療の現状、政治の現状など幅広い分野について学ぶことができた。
生き物には個性があり、人間には多くの感情もあり、良心もある。
良心から生まれる思いやりを持って接することは、意識して行うことを継続していくことで習慣化し、無意識にそれが行動や言動に現れるようになり、人間性を高めることに繋がっていくのではないかと集中研修を通して考えた。心で感じ学ぶことが多く、言葉にすることが難しい学びもたくさんあったが、この学びをもっと深められるように、これから経験を積んでいきたい。

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