平成23年5月、東日本大震災の被災地支援のため、岩手県大船渡市を中心に活動を行いました。
その際、活動するために寝泊りしたのが海から車で約70分と離れた奥州市でした。
約1カ月間そこに滞在する間、往復した山の緑はとても美しく、様々な表情を見せてくれ、とても素晴らしかったことをよく覚えています。
被災地においても津波に襲われていない高台や、緑の海の景色は大変美しいものでした。地元の人々が「この地域は津波さえなければ天国のような所」と言っていましたのが、本当にそのとおりと思わせられる景色です。
その上、この地域に住んでいる人々の我慢強さと優しさ、応援に駆けつけた日本人の思いやりの心と憐憫の情、いずれも日本人ならではのものと改めて感動いたしました。
私は、その前年(平成22年=63歳)に自転車による2カ月間のアメリカ大陸横断に挑戦しました。その時感じたアメリカと、「自然」も「人間」も大きく違いました。
この美しい国“日本の自然”と“日本人の心根の美しさ”を守りたいと思い、ナショナルトラストに賛同したのです。
我々は医療人として、貧しくて医療が受けられない人々、ほんのちょっとした知識がないために病気になっていく人々を、私たちがちょっとした我慢をしていくことで少しでも救うことが出来たらと思い賛同しております。
我々は医療人ですから、本来なら自分たちで出かけて医療を展開すべきですが、代わりに「国境なき医師団」や「世界の医療団」の方々にお願いしているのだと考えております、彼らはまさに自分の命と大切な時間をかけて頑張っております。
ラオス(ラオス人民民主共和国)はIMFによると、2011年のGDPは78億ドルであり、鳥取県のおよそ3分の1の経済規模で、国際連合による基準に基づき、後発8.途上国と位置付けられております。1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の60%を超えると推定されております。
貧しさゆえに教育を受けられない、共通の言語・文字が普及していかない。そのため折角の人材も活かせません。
彼らは日本人にとてもよく似ております。相手の表情を良く見て、言葉に出さなくともこちらが困っていることを探ろうとします。その上、日本人と同じように慎しみ深さがあり、我慢強いのです。日本人とルーツが一緒だともいわれております。祖先の住む場所が違ったために、こんなに異なった境遇(どちらが幸せかは分かりませんが、少なくともラオスは現在世界の最貧国の一つです)になりました。
その違いは「教育」だと思うのです。
彼らに教育の機会を増やすために一生を捧げているのがチャンタソン氏です。その彼女の手伝いを少しだけしたいと思ったのです。
平成23年3月1日、医療法人秀峰会は創立30周年を迎えました。地域の皆様の大きな応援やご支援、そして沢山の迷惑にも拘らず我慢していただいたお蔭様をもって、今日まで何とかつつがなくやってこられました。
このことに対する我々秀峰会スタッフ全員の感謝の気持ちを込めて、記念事業として県道蒲生岩槻線沿いの新川沿いに、ヒトツバタゴ(通称:なんじゃもんじゃ)の街路樹を植えさせていただきました。現時点では「辰の口橋」から武蔵野中学校近くの信号までですが、武蔵野線までの跨道が完成した暁には街路樹をさらに延長して植栽させていただく予定です。
地元の方々が散歩道として利用され、少しでもこの地域を誇りに思えるようになることを夢見ております。
現在、秀峰会は法人内の全施設のメンテナンス工事を展開しております。
その中には建物の屋上の一部にソーラーシステムによる発電と、秀峰会内の全ての電気のLED化を計画しています。このことによってCO2の排出が、秀峰会だけで年間139トン削減できる予定です。
特に精神科デイナイトケア生徳を、敷地内に設けた緑(ささやかではありますが小さな庭園があります)に相対した構造転換(出入り口や窓など)を試みております。
こうすることによって従来以上に、生徳を利用される方が一日も早く“働く”ことが出来るように願いを込めて改築致します。
近年、それもかなり近いうちに首都直下型地震の危険性が叫ばれております。私たちは平成23年3月の東日本大震災に際して、同年5月から約1カ月の間、法人の総力を挙げて、被災者の病気の早期発見と早期治療を目的とした“こころのケアチーム”と病気の発症予防を目的とした“ボランティアチーム”を編成し、延べ498人を被災地に派遣いたしました。
その中で多くの有意義な経験をし、また沢山のことを学ばせていただきました。その一環としてBCP(事業継続計画)作成や、法人内に非常時に必要な食料品や水などの備蓄物を準備いたします。当地の非常時には勿論のこと、他地域の非常時にもささやかですが役立つことができればと考えております。
また災害時には、秀峰会の建物が近隣の皆様にとって少しでも頼りになれる存在となれるよう心がけて参ります。